独参をしていると、お伝えしている悟りを、例えば「宇宙との一体感を感じる」等ある種の感覚を得ることやある状態になる事と勘違いしていることがあります。このようならば、一体感(と言う対象)を感じている主体(私)が居ることになり、実物自体しかないことがハッキリせず、私感、自他感が依然としてある事になります。
また、「自己が落ちた」のような表現も落ちたことを知っている私が居ることになります。「すべては空だと分かった」のような“分かった”と言う表現も分かっている私が居ることになります。
悟りは、「実物自体」です。私無く「実物自体」です。ですから「ある状態」ではありません。前を向いたらそういう実物自体が悟りの内容です。元々そうだった「実物自体」がハッキリしたわけですから、真実追及、本当の私探しが終わるわけです。そして、1度悟りが起きたら、前を向いたらそうですから、悟る前に戻ることはありません。悟りが深まるということもありません。
体験というものが「何かの出来事を自分が味わった」という定義なら、悟りは体験ではありません。目の前の様子自体を体験と呼べないですよね、こちらに人が居ないので、自覚したという気配もありません。
以上を説明した理由は、例えば、宇宙との一体感が悟りだと勘違いしていると、坐禅中にまだ一体感みたいなものを感じていないので、坐禅になっていない、と勘違いすることがないようにするためです。
坐禅は、人間本来の内容自体です。坐っている時の目の前の内容、音や声の内容、足が痛い等の内容、香り味の内容、思い考え感情の内容です。 坐禅や悟りに興味がある方、修行がわからない方がいらっしゃいましたら、どうぞお問合せください。お待ちしております。