質疑応答より5

質問

仕事などで、ほとんど坐る時間がないのですが、どうしたらいいですか? それと、坐る時間がないと焦ってしまうのですが?

答え

香厳(きょうげん)さんという方は、掃除していたとき、石が飛んで竹を「カチッ!」と撃ち、大悟したんですね。掃除してて悟ったということです。

悟りって、「カチッ!」が「カチッ!」ってハッキリすればいいということなんです。今の実物「カチッ!」がそのとおりに、実物を考えで捉えることなく、「そのとおりだった=それだけだった=悟った」っていうことなんです。いつでもどこでも、今の実物(ニャーとあればそのとおり)ですね。

また、「禅」という文字は、「単」に「示」ですね、「単を示す=今の実物どおり」ってことです。今の実物以外に何かありますか?ないですよね。

そして、「カチッ!」ってある時に「カチッ!」ってあることに、自分で何かする必要はないですね。勘違いすると、「想い描いた禅修行」というものをやることになってしまいます。

掃除でも何でも、今していること、そのとおりです。坐ってる時は、坐ってるとおりの実物です。掃除してる時は、掃除してるとおりの実物です。食器洗っていたらそのとおり、商談していたらそのとおりですね。坐ってる時だって、何してる時だって、説明的に整理して言うなら、五感や思いの実物内容が、今あるものがあるだけで、さっきのはないし、これからのはないし、今も(読んでるとおりの実物)このようですね。

坐ってる時は、坐っていて、思ったり考えたりしても、そのまま坐ってていいですね。お皿を洗ってる時は、お皿を洗ってて、思ったり、考えたりしても、お皿を洗っていればいいですね。商談してる時は、商談していて、思ったり、考えたりしても、商談していればいいですね。その時、必要なことをすれば、思いや考えを放っておこうとする必要なく、知らぬ間に、今の思いや考えだけになっていますね。そうできてます。

今お伝えしたような、「実物=悟り=禅」という理解があれば、思い描いた特別なことをしなければならない、という思いも収まり、焦りはなくなるでしょうね。

問い

ではなぜ、坐るのですか?

答え

ほんとうに、万事を休息して自ら一切何もせず居られるからです。だから、坐りながら、自ら想い描いた何かを達成しようと企て続けていたら、坐禅とは言えない、修行しているとは言えないのです。今の実物内容(目を閉じたら閉じたようになる)とおりに居るということは、それしかない内容(実物)で居るということです。実物の内容を考えで捉えることをしていない、ということです。

問い

では、長時間坐る方が早く悟るのですか?

答え

生活に合わせて、坐る時間をつくり、坐ってください。私は仕事をしていましたし、家族とも談笑していましたし、それでも悟りましたよ。

重要なのは、先ほども言いましたが、坐っている時に、本当に万事を休息することです。万事を休息しているのですから、万事を休息しているか否かを点検する必要はありません。

それと、仕事などは、先程お伝えしたように行って、空き時間、隙間時間に、即その場で坐禅すればいいです。長く坐らないと意味がないと誤解してる方がいますが、数十秒だろうと数分だろうと即その場で坐るのです。

坐る形(姿勢)は、先ほどお伝えした要点がわかれば、おわかりだと思いますが、目は開けて、その時できる楽な姿勢でいいです。

それと、「何か特別なことをしなくては、特別な状態にならなくては」、という思いが、ハッキリする前は、なかったですね、多少あったかもですが、あったらあったままで、考えで整理したり、よりよい状態にしようということは、本当にしなかったですね。

この事がとても重要なんです。なぜかと言うと、このように居ると、坐っている時とかそれ以外とかの区別もなく居るんですね、だからどこかで実物を捉えることが、止むんです。悟る時は、実物を捉えることが、一瞬やめばいいだけですしね。

もし、「特別なことをしなくては、特別な状態にならなくては」、と思っているなら、何か理解不足があるかもしれないので、もしそうなら、独参で確認してください。「理解は要らない、とにかく万事を休息して坐ります」でもいいと思います。独参で坐れてるかの確認はした方がいいですがね。